カテゴリー: ■ニシガキ*コラム

バンクシー展 その2

write by 西垣

前回、バンクシーについて説明させてもらいましたので、今回は会場内と作品についてお話していきたいと思います。

基本全ての作品の写真を撮るのがOKで、中に入ると3つほどの作品と一緒に写真を撮れるようになっていました。

壁画を実体験出来るようにもなっており、皆楽しそうに写真撮影していました。

その他にもオリジナル作品だけでなく、映像やインスタレーションなどを用いて、多角的にバンクシーに迫る展覧会になっていました。

久しぶりに美術館に訪れたのですが、最近の美術館はただ作品を展示するだけでなく、あまり詳しくない方にでも、映像や音声アプリなどで人物や作品を分かりやすく紹介してくれます。

観たことのない作品が山ほどあり迷いましたが、その中で印象に残った作品を2つ紹介します。

1つ目は「グラニーズ」という作品名で、2人のおばあちゃんが日課である編み物を、穏やかな笑顔を浮かべていそしんでいる様子の作品です。

しかし、彼女たちの編んでいるセーターには、平穏な日々とは程遠い言葉が書かれています。

「パンク・ノット・デッド(パンクは死んじゃいない)」「サグ・フォー・ライフ(我が道を行く)」のフレーズは、パンクとヒップホップという2つのサブカルチャーの代名詞。

婆ちゃん達がイギリスの片田舎から世界へ進出する孫を応援するように、バンクシーが自分自身へ掛けた励ましの言葉なのかもしれませんという、バンクシーには珍しい作品だったので印象にも残りました。

もう一つは、ニュースにもなりましたシュレッター事件の「ガール・ウィズ・バルーン(風船と少女)」です。

この作品はオークション会場で落札された瞬間に作品が完成し、現場にいた皆さんの印象に最も残るという作品となりました。

映像で当日の様子がながれていたのですが、1億5000万円で落札されハンマープライスされた瞬間、バンクシーが持っていたリモコンのボタンが押されると、額縁にあらかじめ仕掛けられていたシュレッダーが作動し、作品を断裁し始めた。

騒然とする会場を尻目に、断裁された作品は、関係者の手によって会場から運び出されていった。

投機対象として金だけが積まれていくオークションビジネスへの批判・テロ行為ともいえるシュレッダー事件でした。

しかし事件後、断裁された作品は「史上初めて、オークションの最中に生で制作された作品だ」と老舗のオークション会社「サザビーズ」が宣伝し、落札者も落札金額を支払って購入。

批判そのものがオークションビジネスに取り込まれ、作品の市場価値を上げてしまった。

映像の最後に、額縁の製作段階で断裁の動作を何度も確認している姿と、悔しがるバンクシーの言葉がとても印象に残りました。

 

 

いろいろ伝えたい事がありましたが、興味を持たれた方は是非観に行って頂き、自分なりに感じていただきたいと思いました。

バンクシー展 その1

write by 西垣

子供の登校日に妻と二人きりの休みという、滅多にない休日をむかえた事がありました。
最近 二人で出かける機会もなく、子供が一緒だと行けない所へと思い、私が去年の今頃から観に行くと決めていた『バンクシー展』へ行くことに決めました。

最初は横浜会場で開催されていた時に、音楽フェスのついでに観に行こうと思っていました。
しかし、コロナが広まって最初の緊急事態宣言で、フェスもバンクシー展も延期になってしまいました。

次の計画では、今年1月ぐらいにGo Toトラベルで小旅行をかねて大阪会場へ観に行く予定でした。
しかしこれも、2度目の緊急事態宣言で旅行自体をキャンセルする事になってしまいました。

もう諦めていた時、名古屋会場でも開催される事が決定になり、これを逃してはと思い、妻を説得してやっと観に行くことができたのです。

昔は二人で美術館や野外アート展(トリエンナーレ)とかに頻繁に出かけていたので、久しぶりのアート鑑賞に、到着するまでワクワクが止まりませんでした。

 

バンクシーとは、イギリスを拠点に活動し、世界各地でゲリラ的に路上に作品を残す ストリートアーティストです。


正体はハッキリしておらず、真相は闇に包まれたままだそうです。
作品の多くは権力をあざ笑い、物質主義・商業主義を笑う革命家で、私がバンクシーに興味を持ち始めたのが『ディズマランド』とうたった50人以上のアーティストによる、バンクシー 企画・実行された遊園地型アート作品展でした。


戦争や住宅難、移民問題への問題提起など、社会風刺の効いた作品があちらこちらに配置されており、どれも強い印象が残り、自分なりに考えさせられる展示作品ばかりでした。
と、あたかも会場に観に行ったかのように話してますが、私が好きなアーティストが紹介したレポートを読んだのがきっかけでした。

そんな謎の多いアーティストの展示が日本上陸・・・
しかし本人非公認で本人からも「FAKE(偽物)」の展示イベントとつぶやかれている。
今までそんなものに行ったことがないので、期待と不安が入り交ざった状態で、いざ会場入りしました。

 

次回、会場内や作品内容について話していきたいと思います。

三兄弟駒ヶ岳に登る その2

write by 西垣

前回のコラムの続きで、駒ヶ岳登山の様子を話したいと思います。

最初の30分くらいは緩やかな道のりでスタスタ行けたのですが、その後突然、急な登り坂になりました。
まだ登山客はまばらだったので、自分たちのペースで進む事が出来ました。
みんな登山初心者で、長男とは9歳、次男とは6歳離れているのですが、とてもそんな年齢とは思えないくらいのペースで登っていき、私も負けてはいられない感じでした。

合間に休憩をとるのですが、体が冷えてしまうので、水分と甘いものをとるぐらいの小休憩にし、まだ元気があるうちに、天候がいい状態のうちに先を目指す事にしました。

途中曇りがかり風が吹いて寒い時もありましたが、大雪が吹き付ける事もなく、順調良く予定通り2時間で頂上にたどり着く事が出来ました。
頂上に着いた時は晴天で、周りの雪景色も最高でした。

せっかく登ったので なるべく長く頂上に滞在したいという気持ちと、この眺めをもう少し見ていたいという気持ちがありましたが、登りよりも大変そうな下山の事を思うと名残惜しいですが、気持ちを切り替えて下山する事にしました。

頂上では寒くて軽食がとれなかったので、少し下りた休憩所でなかなか沸かないお湯を待ち、3人で凍えながらカップ飯を食べました。
言うまでもなく最高に美味しかったです。

下山途中 最後の難関だったのは、行きにペースをおとしながら登った坂です。
年配の方や女性の方、子供達がなかなか動けなくてゆっくり下りている状態だったので、登山客で渋滞ができていました。
ロープは張られていたものの、雪が積もって道が細く、ちょっとでも踏み外すと足を滑らせる場面が何度もありました。
兄貴達も流石に慎重になり、四つん這いになったりしながら、なんとかその坂を下りきる事ができました。

最後に剣ヶ池という小さくて綺麗な池をぐるりと回って到着だったのですが、氷が張って雪が積もり、姿形を見る事が出来ませんでした。
記念に千畳敷カール(カールとは、氷河期の氷で侵食されて形成されたお椀型の地形のこと。畳を1,000畳敷いたほどの広さがあることから名付けられました)をバックに写真を撮って、無事登山が終了しました。(イメージしていた風景はこんな感じでした)

雪山という予想もしない登山でしたが、とても思い出に残る体験となりました。実家に戻って、両親へのお土産話に、お酒がすすみ盛り上がりました。

三兄弟駒ヶ岳に登る その1

write by 西垣

毎年お正月とお盆には、実家に家族が揃って宴会が開かれます。

いつも酔いがまわった中「今年は何に挑戦しようか」という話題になります。 

何年か前には両親も合せた家族5人で、富士山の頂上で朝日を見るという事を達成しました。

さすがにそろそろ両親は辛いという事で、今年は三兄弟で駒ヶ岳登山に挑戦する事になりました。

10月中旬の登山当日、兄弟の予定を合わせ、朝3時に自宅を出発しました。

駒ヶ岳はふもとの駐車場からバスで30分、ロープウェイで10分登った2600mから登山のスタートになります。

駐車場には5時過ぎぐらいに到着したのですが、朝一番6時発のバスに乗る為、駐車場には登山者がいっぱいでした。

チケットを買うためにもちろん三男の私が並ばされ、朝一番のバスに乗る事が出来ました。

兄からは「片道2時間ぐらいで登れて初心者コースだよ」と聞かされていたのですが、ロープウェイが登っていくにつれある不安がよぎりました。

ロープウェイを降りると雪ダルマが出迎えてくれ、周りは30cmくらい積もった新雪でした。

まさかの雪山登山になるとは思っておらず、アイゼン(靴の裏に装着する金属製の爪)は もちろん、トレッキングポールも私の分はありませんでした。

ただ、私は昔スノーボードをやっていたのである程度 雪山を歩く事は大丈夫だと思い、登山がスタートいたしました。

 

ここからの 長い長い道のり・〇〇〇との闘い・下山の恐怖など、次回のコラムに続きたいと思います。

こどものおもちゃ

write by 西垣

息子のおもちゃを、自分も欲しくて 次々に買ってしまうのですが、最近は家の中で遊ぶ事が多く、おもちゃが足りず時間を持て余すぐらいなので、息子が幼稚園の頃に遊んでいたおもちゃを出してきてみました。

すると、昔遊んでいたときはほとんど親が作って一緒に遊んでいましたが、久しぶりに触らせてみたら自分で考えて、ひとりでも遊べたり組み立てる事ができるようになっていました。同じおもちゃで、 新たな息子の成長姿を見る事ができました。

息子は『スターウォーズ』が大好きで、絵を書いたり、折り紙の本を見て自分で折ったりしています。それもまた成長です。

その中でも一番驚いたのは、スターウォーズに出てきそうな飛行機を想像してLEGOで組み立てていたことです。コツコツと何体も製作していました。パーツの使い方や色の組み合わせなど、私たち大人には考えつかないような作品を作れるようになっていました。

説明書通りに作り、一回組み立てたら終わりの おもちゃなどが多い中、LEGOやピタゴラスイッチ的なものなどは、自由に組み立てる事が出来て、何歳になってもその年齢にあった遊び方があるので、私たち大人が今やっても 十分に楽しめました。

それでもやっぱり 息子は、友達と外で思う存分 遊び回る日を一番の楽しみとにしています。コロナ禍は 良くも悪くも、今まで当たり前だった事や 本当に大切な事などに気付かさせてくれる時期だと思いました。

子供が新たに始めたこと

write by 西垣

家族でプールや遊園地に行ったり、野外音楽フェスや花火大会などなど・・・、毎週のようにイベント事に参加していた例年の夏。今年は人が集まるイベントはいっさいなく、子供たちが集まって遊ぶ事も出来ない雰囲気でした。

息子も遊ぶ事が制限されてイライラしている状況で、親の私たちも何かさせてあげたいけどなかなか思い浮かばない中、学童保育で年上の子がやっていた本将棋を見て

「やってみたい!!強くなりたい!!」

と言ってきました。

まだ7歳には早いかな と勝手に思っていましたが、最近は動かし方が書いてある駒の将棋があるのを知り、早速 買いに行きました。

そしてすぐに

「やりたい!!やりたい!!」

でしたので対局してみました。

久しぶりに私も将棋をやってみたのですが、さすがに本気でやってしまう訳にもいかず、手をぬいて戦うことにしました。ですが、そんなことをやったことがないので上手く手を抜けずに勝ってしまい、息子はすねるという状況になってしまいました。

ふと自分の小さい頃のことを思い出しました。全く同じで 、悔しくて泣きながら父や兄に勝負をしていた記憶が蘇ってきました。その時に飛車・角抜きで勝負をしていたので、私もやってみることにしました。

初めて飛車角を抜いて将棋をやってみたのですが、意外にいい感じで、お互いに考える将棋の対局になりました。とりあえずは動かし方を覚えてもらえればいいかなと思っていたのですが、何回も対局していると、先を読んだり勝負を仕掛けたりなど、まだ教えてない事まで自分で考えて将棋を指すようになりました。この先何回も何回も対局していき、成長していく姿が楽しみにもなっていきました。

最後にお母さんと将棋をさせてみましたが、お母さんは「王」の駒だけになってしまい、息子の駒に追っかけられるという今までに見たことのないオモシロイ将棋を見させてもらいました。

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