投稿者: staffcolumn

フードハブプロジェクト神山

write by 垣本

先日、徳島県は神山町「地方創生の先進地」に行ってきました。

3日間の滞在の中で、印象に残った取り組みを紹介します。

 

『フードハブプロジェクト神山』

 キーワードは「地産地食」

農作物のブランド化や6次産業化の支援ではなく、地域で食にまつわるサービスを生み出し、農作物を地域で食べることで経済を回していくというコンセプトだそう。

確かに考えてみると、地方で作った農作物を市場の大きい都市部で高値で販売する『農作物のブランド化(すごい大きくて甘いいちごがイメージしやすい)』って農作物のお金は地方に落ちるけど、その食材を使ったサービスは都市部で起こってしまう。従来の生産地(地方)と消費地(都市部)の関係は変わらない。

農作物を作る人のみが頑張る仕組みは、生産者への負担となる。加えて、生産者が都市部に向けた商売をしても、同じ地域内に住む人にとっては、その食材や生産者に対して愛着は湧かないし、応援したい気持ちも起こりにくいように思える。都市部からの評価がその地域の評価として考えるのはなんか寂しいし、時代錯誤に思える。

このフードハブプロジェクトでは、地域の農作物をふんだんに使った食堂「かま屋」やベーカリー兼食品店「かまパン&ストア」をオープンしたほか、神山に息づく食文化や郷土料理の再生、オーガニック農業の導入などに取り組んでいる。

生産者に加えてレストラン・加工業者・販売業者などの様々なサービスが地域内に生まれ、循環させることができる。そうすることで雇用が生まれるし、農業が元気になり、景観を維持していくことにもつながる。

地元で自分たちらしく生業を育み、生活を営む。

未来的だけど、自然なことだよなー。

大垣近郊でも農法にこだわった農家さんや素材にこだわった料理人さんたちと一緒にこんなプロジェクトを始められたらなぁ。

中村久子の生涯

write by 奥村

『中村久子の生涯』という本を読みました。

中村久子さんは、明治30年11月25日に岐阜県高山市で生まれ、3歳で突発性脱疽(肉が焼け骨が腐る病気)にかかります。
医者から両足とも切断しなければならないと聞いた両親は、いきなり降りかかった災厄にうろたえるばかりで、「わが子の病気を治せ給え」と、藁をもすがる思いで天理教に足しげく通いました。
家は貧しい畳屋暮らしで、蓄えは医者代と天理教への奉納に消えました。

それでも手足を切らないで済ませようと翻弄しているうちに月日は流れ、ある日、母あやが久子を炬燵のそばで寝かし、台所片付けを終えると、床に繃帯が落ちていました。
何気に拾い上げた繃帯の中には、真っ黒になった久子の左腕がありました。
五本の指が付いたまま、自然にもげ落ちていたのです。

そこでついに、両腕両足を切断することを決心しました。

久子は6歳の時に失明し、父親がなくなります。
失望したあやは、手足のない久子をおぶって川に飛び込もうとしましたが、思いとどまり、その後久子を何でも自分でできるように厳しく躾けていきます。

「できるまでやってみることです。やれないのは、やってみないからです。」

と母の叱りを受けながら失敗を繰り返すうちに、久子の心は『いつか必ずできる』という思考へと変わっていきます。
そのうちに刺繍、編み物、掃除、洗濯、書道、料理と、何でもできるようになっていきました。
なんと口の中で針の穴に糸を通すこともできるようになったというのです。

しかしそこには、血のにじむような努力があり、
「私にとってどんなことも、易々とできあがったものはございません。言い表すことのできない難儀と苦労の果てにできあがったのでございます。しかしここまでできたのも、みな母の厳しい躾けによるものでございます。思えば冷たい母の仕打ちは、何物にも勝る愛情だったのですね。」
と語っています。

さらに母は
「人間は働くために生まれてくるのです。できないとは何事ですか。」
と叱り続けます。

20歳になった久子は、母の躾け通り、自分で働いて生き抜くことを選びます。
そして見世物小屋に入ることを決心します。
『だるま娘』として、名古屋の大須堂の宝座で初舞台を踏みました。
大正6年12月には、大垣駅にも巡業に来たことが本に書かれていました。

そして23歳で結婚し、長女を出産し喜びも束の間、夫が病死します。

ここまでの人生だけでも激動の人生ですが、とてつもない努力と強い精神力で、自ら人生を切り開いて生き抜いてこられる姿を読むと、自分はどれだけ恵まれているかが身に沁みました。

その後もすさまじい人生を送られますが、やがてこの生き方に感銘を受けたヘレンケラ-が3度も久子さんと面会をします。
また、身体障碍者の模範として厚生大臣賞を受賞し、天皇陛下からお言葉を賜ります。
久子は生涯一切公的な扶助を受けませんでした。

「いただかんでよかった」
「見世物小屋の住人でも、働かしてもらったことは大きな幸せだった。天皇陛下も厚生省も、見世物小屋におった住人でも、人間の一人としてあつかってくださったことは大きな感謝でございました。それからというものの、できるだけどんな人ともなるべく自分の力で働いていくよういつも申します。どんなところにも生きていく道はございます。」
と最後に語っています。

両手両足がないと嘆くよりも、人として生かされていることに感謝しながら生き抜かれた人生にただただ敬意を払う事以外思い浮かばないほどでした。
あれがない、これがない、あの人が悪い、世間が悪いなど私たちはとかく自分の境遇を他人や社会のせいにしがちですが、中村さんの生き方を読んで、自分で道を開く強さを自分自身が持たないといけないと改めて深く感じました。

鎌倉へ

write by 桐山

先日鎌倉に行きました。
会社訪問をさせていただいている中で、鎌倉に素晴らしい会社様がある事を知り、一日会社訪問をさせていただきました。

エネルギッシュに街づくりに取り組んでおられ、まず驚いたのが社員さんの服装でした。
カジュアルな装いで仕事する事が当たり前で、個性が出ていて良かったです。
逆に先方から見たら、弊社は白のシャツで揃えていて『制服』ですか?と言われる始末で、時代錯誤に映ったのでしょう。

 

遊休不動産の活用を、葉山、鎌倉、茅ケ崎で実行されていて、地域の皆さんと共に使え、且つ、事業として成り立てていることが素晴らしいと思いました。
中には蔵を改造した1棟貸しのゲストハウスもあり、インテリアが非常に良かったです。
若い女性に人気で、稼働率が高いとの事でした。

 

訪問の合間に、中学の修学旅行以来の鎌倉の大仏、八幡宮、鎌倉文華館を見学しました。
文華館は坂倉準三氏の建物ですが、初めて見学できました。
小さな美術館ですが、築60年ほど、リニューアルされていますが往事のデザインは残されていて、中庭、ピロティ、大階段等、見所満載でした。
物が無い時代にこれほど工夫して作り込んでいる事に感動しました。
池の置き石に建物が乗り、2階が白壁で処理されていて、地域に馴染んだ設計がされている事と実物を見れた事が良かったです。

 

鎌倉、小金井、西国分寺と慌ただしく移動した会社訪問でしたが、実に刺激を受ける事が出来ました。

感謝

 

企業訪問

write by 河村

私達の会社は代表の交代などもあり、今まさに変革期に突入しました。

私達の会社はどんな変化をしていくのか?

まだはっきりとは決まっていませんが、一つ言えることは、地域に必要とされる会社にならなければ存続する事が出来ないという事です。 

走りながら、考えながら、変化していく事になるでしょう。

 

ここ数カ月企業への訪問が続いています。
良い会社をこの目で見て、感じるためです。

今回のコラムではそのうちの幾つかをご紹介させていただきます。

 

 2021.7月10日  グリーンノートレーベル株式会社 様

 https://ba-gnl.jp/

富山県は射水市で、空き家や空き地を使い「場」と「空間」と「しかけ」をつくり、まちに「元気」をつくる会社様です。
私達がミドリバシを中心にまちに賑わいを創出する活動内容に、かなり近い内容だと感じています。
空き家を使い、射水市に11年で数十件のプロジェクトを実現させていらっしゃいます。
私達はミドリバシ周辺で3年活動してまだ2件ですから、相当スピードが速くまちの活性化に寄与していらっしゃいます。

私達は訪問し、代表である明石さんに、インタビューを通じて空き家活用のためのノウハウやシステムを教えていただきに行きました。

ところが、インタビューで明石さんから帰ってきた言葉は
「ノウハウはありませんよ。職人芸です。」との事でした。

「結局このまちに面白い人を一人づづ集めてまちを体験させて、彼らがやりたい事を実現させていくだけだよ。」と

中でも印象的だった話の一つが、外国人の方にバーを射水市で開業させたとの事。
その外国人の方はもちろん日本でバーをやったことなどありません。
全く実績が無いのです。

私達も開業のお手伝いをしたことがあるので、その大変さが良く分かります。

大きな障害の一つが開業の資金です。
銀行に全く実績の無い人は事業用に資金を借り入れする事が非常に困難です。
ましてや外国人。その人のために膨大な資料を一緒に作り、保証協会まで乗り込み演説したそうです。
結果、開業まで無事こぎつける事が出来たそうです。相当な労力でしょう。

「きっと難しいけれど、出来ない事なんて無い。誰でも必ず出来る。」
とおっしゃっていました。

究極的に前向きな思考で現状を打破する力を感じました。

 

帰りに、社長と会長と3人で

「我々はそこまで企業する人と向き合って伴走することが出来ているだろか?単に建築屋として関わっているのではないか?」

と沢山議論して帰ってきました。

まだまだ変化はこれからです。

洗車革命

write by 豊田

今回は私が愛用しているEK-ZEROについて紹介したいと思います。

EK-ZEROというのは通販で売っている水なし洗車ができる商品になります。

私はラジオの通販のコーナーでEK-ZEROを知りました。

「小型車なら5分で洗える!洗車と撥水加工のコーティングが1度にできる!」

最初、このCMを聞いた時、興味を持ったのですが、洗車は水をかけてから磨くよりも、水をかけながら磨いた方が傷つきにくい!と車好きの友達から聞いて実践していたので、水なしだと傷がついてしまうのではないかという不安が大きく購入しませんでした。

しかし、ラジオから頻繁に聞こえてくるEK-ZEROのCMと使用者のナビゲーター生の声の影響と、夏の日差しが差す中2時間かけて洗車する辛さから、1度購入し試してみることにしました。

洗車革命とはこのことだと実感しました。

まず時間が2時間から30分に短縮されました。

水洗いをし、拭き上げ、ワックスを塗り、拭き上げるという工程が、EK-ZEROを吹きかけ拭き上げるという1工程になったことによる楽さはまさに洗車革命です。

私が洗車をすると家の横に大きな水たまりができていたのですが、できなくなりました。

不安に思っていた傷ですが、私にはEK-ZEROでついた傷なのか、元からあった傷なのかがわからなかったので、気になりませんでした。

泥はねなどがある場合はEK-ZEROを吹きかけて拭き上げると傷がついてしまうので、水をかけ流して拭き上げます。

ホイールも洗えるのですが、水をかけながら磨いた方が早いので水洗いしています。

それ以外のボディやガラス部分、樹脂部分はEK-ZEROで洗っています。

 

と、ここまでEK-ZEROを使った感想を書いてきましたが、ここからはEK-ZEROという商品の仕組みについて紹介したいと思います。

EK-ZEROを吹きかけて拭き上げるだけでなぜ傷がつかずにきれいになるかというと、洗車時に必要な水分は溶剤の中に十分に含まれていて、吹き付けると同時にイオンの力でボディ表面に被膜を形成し、汚れを浮かせ、浮かせた汚れは専用のマイクロファイバークロスで優しく拭き取ることでほとんど傷がつかないという仕組みです。

このマイクロファイバークロスも特殊で、太さ髪の毛の約1/100という超極細繊維技術をしようしているので、ごみの吸着力と吸水性に優れ、傷も付きにくくなっています。

このような技術の進化によって完成した水なし洗車EK-ZEROの良さを紹介させて頂きましたが、決して回し者ではありません。いち使用者なです。

次回はもう少し詳しい実験結果について広めたいと思います。

(EK-ZERO公式サイト 引用)

キースへリング美術館

write by 西垣

少し前の豊田君のコラムにもありましたが、山梨の清春芸術村に男性社員だけで研修に行ってきました。

その日だけ天気がとても悪く、あまりゆっくり見学する事が出来ませんでしたが、写真では感じとれない、実際に見たり触ったり、空間を感じる事が大切だとあらためて思うことができました。
研修の内容は豊田君が詳しく話してくれましたので、 私はこの研修の後、近くにちょうどありました『キースへリング美術館』に立ち寄った話をしたいと思います。

実はここに来るのは2回目で、しかも何十年か前にどこかへ社員研修をした後に私が「行きたい」とリクエストしたのでした。
今回は、あれから増築がされて展示内容が増えていたり、ホテルが新設されていたりしているので、もう一度観に行きたいという気持ちと、若い社員さんにも見せてあげたいという思いがあり、立ち寄る事にしました。

ユニクロのプリントTシャツでよく見かける事が多いですが、アンディ・ウォーホルやジャン・ミシェル・バスキアなど、ポップ・アートを牽引する代表的な美術家です。
ニューヨークの地下鉄構内で広告板に自発的に描いたグラフィティー・アート、またストリート・アートの先駆者として、私が好きなアーティスト、エリックヘイズという人も共に絵画作品の個展やグループ展へと活動を広げていった仲間のひとりだったので、共通するような作品があり興味のあるアーティストです。

基本的には色鮮やかで動きのある楽しそうな表現の、よく見かける作品が展示されているのですが、この美術館には、表現が激しくあまり表に出てこないような作品が多数見る事が出来るので、キースヘリングをより知ることが出来ます。
増築された部分には、今までの活動の様子の動画や写真、日本来日の様子やイベントポスターなど、そこの展示の仕方もすごくかっこ良く、キースヘリングを表現していると思いました。

何よりもキースヘリングを表現しているのが、この美術館建物本体です。
大自然を融和し『闇から希望へ』というテーマで、80年代の混沌とした大都市ニューヨークで生まれたキースヘリングのアートが放つメッセージを体感できるように空間を設計されました。

リニューアルオープンでは、『生命の荒々しさ』をキーワードとし、生命力がまるで自然の地形に反響するかのような斬新な設計となりました。
外壁には波動をデザインし、中庭には稲妻形の壁が出現してあるそうです。
今回は大雨だったので、外観と中庭を見る事が出来なくとても残念でした。

最後の楽しみ、お土産のグッズコーナーです。
家族へのお土産を探している時、箱の中にキースヘリングのキャラクターオブジェの何が入っているか分からないという、よくあるお楽しみBOXを購入しました。
中でもキースヘリングとアンディ・ウォーホルとコラボした『アンディマウス』が欲しく、箱を振って 重さや形状を想像して ひとつだけ選び、その場で開けると次々と買ってしまう性格なので、ワクワクしながら帰宅しました。       お酒を飲みながらちょっと落ち着いた時に開けましたら、なんと、欲しかった作品が出てきました。
このキースヘリングの作品が一番思い出に残り、今日から一番大好きな作品となりました。

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