カテゴリー: ■オクムラ*コラム

モルック

write by 奥村

何か聞いたことある話だな。。。と思われる方もみえるかもしれませんが(以前同じモルックの話題で西垣がコラムを書いています。笑)どうぞお付き合いください。

 

皆さんはモルックというマイナ-スポ-ツをご存じでしょうか。
すでにご存じの方は多いと思いますが、お笑い芸人のさらば青春の光の森田さんがテレビ番組で紹介し、森田さん自身が世界大会へ出場したことで有名になったマイナ-スポ-ツです。

モルックは1966年にフィンランドで生まれたスポ-ツらしく、フィンランドの人はサウナに入った後、ビールを飲みながら仲間とモルックを楽しむそうです。
モルックに必要な道具は直径6cmの木製のピン。
投げるのに使うピンをモルック、標的となる12本のピンをスキットルと呼びます。
スキットルには1~12までの番号が書いてあります。

初めに置く配列は決まっています。
モルックを投げてスキットルを倒すのですが、ピンを1本倒すとピンに書かれた点数が得点されて、二本以上倒すと、その倒れた本数が1本1点として点数に加算されます。
最初に50点ちょうどになったプレイヤ-が勝ちになります。
しかし50点を超えてしまうと、25点からやり直しになります。また三回連続で倒せなかった場合は失格となるというとても分かりやすいスポ-ツです。

年を取るとこうした力のいらないスポ-ツに興味がわくようでやってみたくなり、モルックの道具をamazonで検索したら、なんと数字の書かれただけの木の棒が7900円もしました。

どうやら流行したので値段も上がっているのだと。
それなら手作りしたほうがよいと思いました。
だって材料に必要なのは丸い太い棒のみです。
製材コーナ-にはそれだけ太い丸材は置いてはいません。
そこで樹木の支柱を探しに行くとちょうど60φの支柱があったのでそれを購入。
2本で1000円程度でした。
スライド丸のこでサクサク刻み30分で出来上がり。
ペーパ-を掛けて油性マジックで番号を書き1時間で完成です。

出来上がると、さっそく奥さんとゲームをしました。
投げる位置から3.5mの位置にスキットルを配列します。
必ずモルックは下から投げることがルールです。
倒れたスキットルはその根元から起こします。
回数を重ねていくとスキットルは散らばり、終盤になるといちょうど50点になるように、本数を倒すか、その点数のピンのみを倒すか駆け引きが起こります。

48点で回ってきた私が最後二本のスキットルを倒して勝利となりました。
これは頭も使うしなかなか面白いスポ-ツだと思いました。
キャンプやバーべキュ-をしながら仲間と競い合うと盛り上がる事間違いなしです。
どこでも場所を選ばないのも魅了の一つだと思いました。

記念メダルと旅の思い出

write by 片桐

旅先でたまに見かける記念メダルの自販機。

別途料金で刻印もできる。

しかし、旅の思い出に購入する人は少ない。

メダル自販機前、子供が『ほしい』とねだる。

親は『買ってどうするの』と一撃を与える。

その目の前でメダルを購入する私。

子供からは熱い視線・大人からは冷めた視線。

長女の社員旅行にもお土産にメダルをおねだり。

同僚から『お母さん斬新』って言われたらしい。

次女は頼まずとも買ってきて、場所の風景や

売り場の状況など事細かに教えてくれる。

長男の記念メダル初めてのお土産購入デビュー。

カウントダウンが始まった。

とにもかくにも、メダルを見れば蘇る思い出は

昨今のお出かけ規制疲れを癒してくれる。

中村久子の生涯

write by 奥村

『中村久子の生涯』という本を読みました。

中村久子さんは、明治30年11月25日に岐阜県高山市で生まれ、3歳で突発性脱疽(肉が焼け骨が腐る病気)にかかります。
医者から両足とも切断しなければならないと聞いた両親は、いきなり降りかかった災厄にうろたえるばかりで、「わが子の病気を治せ給え」と、藁をもすがる思いで天理教に足しげく通いました。
家は貧しい畳屋暮らしで、蓄えは医者代と天理教への奉納に消えました。

それでも手足を切らないで済ませようと翻弄しているうちに月日は流れ、ある日、母あやが久子を炬燵のそばで寝かし、台所片付けを終えると、床に繃帯が落ちていました。
何気に拾い上げた繃帯の中には、真っ黒になった久子の左腕がありました。
五本の指が付いたまま、自然にもげ落ちていたのです。

そこでついに、両腕両足を切断することを決心しました。

久子は6歳の時に失明し、父親がなくなります。
失望したあやは、手足のない久子をおぶって川に飛び込もうとしましたが、思いとどまり、その後久子を何でも自分でできるように厳しく躾けていきます。

「できるまでやってみることです。やれないのは、やってみないからです。」

と母の叱りを受けながら失敗を繰り返すうちに、久子の心は『いつか必ずできる』という思考へと変わっていきます。
そのうちに刺繍、編み物、掃除、洗濯、書道、料理と、何でもできるようになっていきました。
なんと口の中で針の穴に糸を通すこともできるようになったというのです。

しかしそこには、血のにじむような努力があり、
「私にとってどんなことも、易々とできあがったものはございません。言い表すことのできない難儀と苦労の果てにできあがったのでございます。しかしここまでできたのも、みな母の厳しい躾けによるものでございます。思えば冷たい母の仕打ちは、何物にも勝る愛情だったのですね。」
と語っています。

さらに母は
「人間は働くために生まれてくるのです。できないとは何事ですか。」
と叱り続けます。

20歳になった久子は、母の躾け通り、自分で働いて生き抜くことを選びます。
そして見世物小屋に入ることを決心します。
『だるま娘』として、名古屋の大須堂の宝座で初舞台を踏みました。
大正6年12月には、大垣駅にも巡業に来たことが本に書かれていました。

そして23歳で結婚し、長女を出産し喜びも束の間、夫が病死します。

ここまでの人生だけでも激動の人生ですが、とてつもない努力と強い精神力で、自ら人生を切り開いて生き抜いてこられる姿を読むと、自分はどれだけ恵まれているかが身に沁みました。

その後もすさまじい人生を送られますが、やがてこの生き方に感銘を受けたヘレンケラ-が3度も久子さんと面会をします。
また、身体障碍者の模範として厚生大臣賞を受賞し、天皇陛下からお言葉を賜ります。
久子は生涯一切公的な扶助を受けませんでした。

「いただかんでよかった」
「見世物小屋の住人でも、働かしてもらったことは大きな幸せだった。天皇陛下も厚生省も、見世物小屋におった住人でも、人間の一人としてあつかってくださったことは大きな感謝でございました。それからというものの、できるだけどんな人ともなるべく自分の力で働いていくよういつも申します。どんなところにも生きていく道はございます。」
と最後に語っています。

両手両足がないと嘆くよりも、人として生かされていることに感謝しながら生き抜かれた人生にただただ敬意を払う事以外思い浮かばないほどでした。
あれがない、これがない、あの人が悪い、世間が悪いなど私たちはとかく自分の境遇を他人や社会のせいにしがちですが、中村さんの生き方を読んで、自分で道を開く強さを自分自身が持たないといけないと改めて深く感じました。

日本一おもしろい街 大垣市に向けて

write by 奥村

6月26日「ミドリのいち」、7月3日「食のまちづくりワークショップ」と、コロナで開催を延期していたイベントを、2週続けての開催に踏み切りました。

その間、幸いにも弊社の第三の事業について見つめなおす時間が取れたことが結果良かったと思います。

ennoieミドリバシ責任者の垣本君と幾度もこの事業の意味について話し合いを重ね、顕在化してきたものを彼が企画したのがこの二つのイベントでした。

ただ一過性のイベントではなく、未来へ向けて地域のためになる事につながるための永続的かつ一貫性のあるイベントにしようという思いで行いました。

まだ表に出ていない地域のプレイヤ-が活躍できる場を創造し、また共に支援していただける人と街づくりに関して考える時間を共有する。

そういう意味においては未来に対するビジョンへの思いがこのイベントの中には深く刻まれており、意味のあるものになったと思います。

空き家問題、志のある人が輝ける場所、SDGs、そしてその中での自社の役割。

そのすべてが双方に依存できることがこれからの地域社会には必要なことだと深く感じます。

一方向の都合の良いことだけでは社会は決して良くなりません。

そのためには何ができるのかを考え、建築という枠を超えた中で社会貢献できる道をこれからも実践していきたいと思います。

オンラインマラソン

write by 奥村

4月25日の高橋尚子杯第10回ぎふ清流マラソンは、昨年に続きコロナ禍により中止となり、オンラインマラソンに移行されました。

開催直前の中止の発表で、2年ぶりの開催を楽しみにしていたのでとても残念でした。

毎年一万人以上の参加者と世界各国から一流選手が招待される、日本最高クラスのハーフマラソン大会なので、この状況の中、開催中止も仕方ないと思いました。

実際の清流マラソンは沿道の観客からたくさんの声援を受けます。

もちろん知らない人たちですがこの声援が本当に力になります。

世界のトップランナ-の走りが間近で見ることができるのも大きな魅力のひとつです。

また私設エイドも多く、ドリンクの他、和菓子、岐阜イチゴなど、暖かいサポ-トをいただけます。

途中エネルギ-切れになるので食べ物の提供は特にありがたいです。

こうしたサポ-トのおかげで頑張れます。

大垣市を日本一おもしろい街に

write by 奥村

4月26日、四季の広場北側の昭和ビル1階に、マフィン  スコ-ン専門店「BAKE A」がオープンする。

店主は現在ennoieミドリバシでミドリバシカフェを営業している萩田さん。
ミドリバシから初めての起業家が生まれる。

彼のつくる料理は、体への優しさを考え国産の自然食材を使用。
調理されたメニュ-はどれもおいしく、口コミのファンもだんだん増えてきている。
新店舗は弊社が設計。オーナ-は昭和技研㈱様。
四季の広場のなじみの風景でもある時計台のビルの1階である。
木と塗装を基調にしたオーガニックなデザインは、彼が提供する商品にもマッチした内装に仕上がっている。

弊社は3年前に「大垣市賑わい創造事業部」を立ち上げ、ennoieミドリバシを運営開始した。
目的は「大垣市を日本一おもしろい街にする。」こと。
ミドリバシをスタ-タ-向けレンタルルームとして運営をしてきた。
その第一人者として彼が踏み出す。
今後も全力で応援していきたい。


4/26日オープンです。

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